7歳になるまではパパと呼ばせてあげる

4年かかって離婚したダメ男の物語。フィクション。題名は、元妻に言われた一言。

×3 ダメ男、離婚を告げる②

離婚の意思を告げた僕は、放心状態だった。

 

ダメ子「子どもはどうするの?」

 

僕の覚悟が伝わったのだろう、震えた声でダメ子が聞いてきた。

 

「子どもは僕が引き取りたい。」

 

ダメ子「そんなの育てられないでしょ?どうやるの?」

 

「実家に帰る。実家なら育てることも可能だ。昇進を諦めれば、会社を早く帰ることもできる。何とかなるさ。」

 

ダメ子「今早く帰ってこないのに、そんなことできるわけない!」

 

だんだんとヒステリックになってきたダメ子は、子どもの問題について、僕が昨日今日考えたものでないことに気が付いたようだった。

 

「僕が会社の帰りが遅い理由がわからないのかい?君は僕の給与が、君の周りの給与水準の半分以下だと嘆いていただろう。僕の給与が少ないから、専業主婦になれず、子どもを保育園に入れざるを得なかったと、僕を非難していただろう。保育園に入る子どもが可哀そうだと訴えただろう。

 

僕がどんな気持ちで君の言葉を聞いていたかわかるかい?想像できるかい?悔しいから仕事をするしかないじゃないか。いつか見返せるように頑張っていたんだよ。お小遣いだって実質0円以下で毎月持ち出しでも我慢してきた。

 

でも限界だ。我慢の限界なんだ。」

 

 

ダメ子「好きな人でもできたの?」

 

 

・・・、何を聞いていたんだ、この女は。私は子育てで休みないから!と土日に子どもを私に任せて、週に4本くらいドラマを見ている影響なのか?と本気で思った。テレビの影響は凄いと本気で思った。

 

「話を聞いていたかい?誰かを好きになるとかじゃない。君を憎んで、これ以上関わりたくないという気持ちだ。」

 

 

ダメ子「・・・そう。いきなりの話だから、私は何も考えがないし、正直子どもを一人で育てる自信がない。明日考えさせて。明日の保育園のお迎えはお願いします。」

 

保育園のお迎えをサラッと押し付けてきたが、僕はその答えに本当に満足していた。何せ、親権をまともに争ったら、この日本の司法では九分九厘負けだ。痴漢冤罪と同様、司法の変革がなければ、絶対に勝てない。事前に離婚と親権の関係を調べれば調べるほど、その気持ちは強くなっていた。

 

その相手から、親権を譲ると言うのだ。100点以上の回答が、図らずも返ってきたのだ。

 

その日、僕は、離婚を切り出したことと親権が取れる可能性が高いことに対する興奮と、逆上したダメ子に寝首をかかれるのでは?という少しの恐怖で、なかなか寝付けなかった。

 

そう、この時の僕は離婚するまで4年以上かかるなんて、露にも思っていなかったのだ。

 

×2 ダメ男、離婚を告げる

話は4年前のクリスマス前に遡る。

 

子どもを寝かしつけ、そのまま寝ていた僕は、妻であったダメ子に起こされた。時刻は午後10時を過ぎたころだったか。

 

ダメ子「この薬の袋は何?」

 

見覚えのある薬の袋。それは心療内科から出されたもの。

そう、当時、僕は、ダメ子からの度重なるクレームやプレッシャー、お小遣いの減額などで相当参っていた。参っていたというか、若干病んでいた。

仕事が手につかず、ダメ子と顔を合わせたくないため、家にも帰れず、会社帰りに公園で家の明かりが消えるのを待っている日々。心も体も休まることはなく、日に日に僕の表情が曇っていった。

 

ある日、ネットで「帰宅拒否症」という文字を見つけ、「ああ、僕は病気なんだ」と認識し、近所の心療内科に駆け込んだ。

 

そこで、貰ったのがこの薬である。

 

しかし、腑に落ちない点がある。

 

この薬、私の仕事カバンの中に入れており、当然、ダメ子には薬の存在はもちろん、心療内科に行ったことは知らないはず。

名探偵でない僕にもわかることだが、このダメ子、日々、私の仕事カバンをチェックしていたのだ。

 

ダメ子「質問に答えて。この薬は何?どこでもらってきたの?」

 

いつも通りの高圧的なスタンスで僕に聞いてくる。

それが人に物を尋ねるときの態度かい?袋に病院名が書いているからググレカス、なんて言う余裕はない。何を言われても言い返すことなく耐えて過ごしている大多数の日本のお父さん達ならわかってくれると思うが、ダメ子が怖いのだ。いや、本当に。饅頭怖い的な意味も全くなく。

 

「いや、これは・・・」

 

僕は口籠りながら、頭をフル回転させて、ダメ子の追加質問への対策を練る。気に食わない回答をしようものなら、質問という名のクレームが嵐のように来ることは分かっている。

 

ダメ子「そうやって考えてばかりで答えない。何の薬か答えるだけでしょう?グズグズして。最近、保育園への送りが遅くなってるって先生から聞いているけど、何しているの?私に隠れてコソコソと。先生や周りのお母さん方に私が恥をかくの分かってる?」

 

また話が脱線した。ダメ子は答えを聞く前に、僕へのクレームを始めた。コミュニケーションが足りないと言うダメ子は、何が離婚原因か未だにわかっていないだろう。

 

この日は12月22日。もうすぐクリスマス。

今考えると、子どもの好きなプラレールを準備しており、子どもの喜ぶ顔がみられることが心の支えだったのかもしれない。

 

ダメ子のクレームがまだ続いている。

10分くらい続いたクレームと僕を否定する言葉で、何とか耐えていた心の支えが折れたような気がした。

 

ダメ子のクレームを遮って僕は答えた。

「辛いんだ。本当に辛いんだ。」

 

僕はダメ子に初めて見せる顔と初めて聞かせる声で答えた。

 

僕はゆっくり続けた。

 

「君との生活が辛いんだ。今まで耐えてきたけれども、もう無理だ。おかしくなっているんだ僕は。その薬は心療内科に行ってもらったものだよ。今日行ったんだ。このことは言うつもりはなかった。このまま僕が治れば、いつもどおりの生活に戻れると思ったから。」

 

ダメ子「どういうこと?仕事が大変なの?」

 

「仕事が苦しいんじゃない。仕事には満足している。はっきり言わないとわからないようだね。僕が辛い原因は君だ。子どものことがあるから、ずっと我慢してきた。でも、もう無理だ。離婚しよう。」

 

ダメ子は震えていた。それは悲しかったからなのか。それとも彼女のプライドが傷ついたからなのか。

 

×1 ダメ男、離婚す

「では、調停調書を読み上げます。申立人と相手方は、本日、調停離婚し、相手方は本日より10日以内に届出をする。申立人と相手方は・・・」

 

無機質な調停室で調停委員の声が聞こえてきた。

喜びとか悲しみという感情ではなく、ただただ安堵の気持ちと、本当に離婚が出来たのかという、信じられない気持ちの僕は、ぼんやり調停委員を見つめていた。

 

この離婚が決まるまで、実に4年という歳月が流れていたのだから、信じられないのも仕方ないだろう。

 

浮気や借金、DVといった流行りの離婚事由があったわけではない、所謂「性格の不一致」という離婚。僕はダメ男だったけど、向こうもダメ女だっただけなのだが。

 

そんな僕の記憶を綴っていこうと思う。